エフ・アイ・ティー・パシフィック株式会社企業情報

トップインタビュー

トップふたりが語るエフ・アイ・ティー・パシフィックの道程(みち)

創業者である堀晴彦元代表取締役会長(現相談役)、現社長の笠井庸正代表取締役社長。
エフ・アイ・ティー・パシフィック株式会社のトップふたりが、会社の創業時から苦難の時期、それを経て迎えた第2期成長、そして未来、社員への思いを熱く語ります。

※この対談は2017年11月に行われたものです。

「100年続く会社に」 〜創業から社長交代へと続く歩み〜

——堀会長は創業前に会社の10年計画を立て、3年目に新規事業を立ち上げようと考えていたとお聞きしました。まさに、そのタイミングで「車両衝突実験」に伴う事業がスタートし、笠井社長が会社に合流されたとか。
 
堀会長 そうですね。当初から大きなビジョンの一つとして3年目を考えていたのですが、実際に3年目が会社の転換期となりました。1年目から3年目までを創業期とするならば、車両の衝突実験の事業を手がけるようになった3年目から会社の第2期がスタートしたと言えるでしょうね。創業時から進めていたソフトウェア事業、そして自動車関連事業の2つによって、今後会社を発展させていく両輪となる基盤ができたと考えました。

代表取締役会長 堀 晴彦

代表取締役社長 笠井 庸正

笠井社長 もともと会長とは個人的な縁がありましたが、私が以前、勤めていた会社が自動車関連事業を手がけていたこともあり、エフ・アイ・ティー・パシフィックにとって節目となった3年目に一緒に働かせていただくことになったんです。私自身は切実な状況からのスタートでしたが、この事業には将来性がある。そう信じていましたね。結果的に、会長がおっしゃったように会社の基盤となる事業へと成長させることができました。ただし今に至るには、当然ながら良いことばかりではなかった。厳しい時期を乗り越えて今があるんです。

堀会長 笠井現社長を社長に任命したのが、まさに会社にとって厳しい時期でした。2008年にリーマン・ショックが起きましたが、その年に弊社は最高の売上利益を記録し、あと1年もすれば株式公開も可能だろうというところまできていたんです。しかし、その翌期からリーマン・ショックの影響で、取引先のある自動車メーカーが検査機器の調達を制限する、あるいは計画していた設備投資を無期限に延期すると。さらに2010年には重要商権の一つを失う事態が発生し、一気に自動車関連部門の売上が半減してしまったんです。
笠井社長 あの影響は大きかったですね。何しろ自動車関連部門は、うちの屋台骨でしたから。もちろん、今もそうですが。

堀会長 その結果、初めての赤字収支となってしまった。しかし、その時点では、もうひと頑張りして何とかできないものか、踏ん切りをつけるにはまだ早いのではないかという判断をしてしまい、次の期も期待通りの売上が上がらず、最終的に2期連続の赤字になってしまったんです。

笠井社長 ええ、結果的に16期も赤字収支となってしまいましたね。

堀会長 さすがに2期連続の赤字になると銀行の姿勢も変わってくる。そこで社長交代の決断をしたんです。会社の屋台骨を支えてくれている自動車関連部門を、しっかり立て直さなければ未来はない。その一方で、会社の体制を縮小するようなドラスティックな動きもしなければならない。しかし、自分自身の性格を踏まえると無理がある。いろいろな状況が重なったんです。そこで、当時は専務だった笠井社長に「このへんで選手交代しよう」と告げたんです。

笠井社長 いや、そんな理路整然と言われると、私が「はい、わかりました」と素直に受けたように思われてしまいます(笑)。本当にいきなりでしたよね。その日の午後、役員会議が行われる予定だったんですが、その前に社長室に呼ばれましてね。「笠井くん、社長やってくれ。午後の役員会議で発表するから」と。寝耳に水で何の心の準備もない。「いやいや、ちょっと待ってください」と抵抗はしたけれど、なかなか抵抗しきれず、致し方なくお引き受けをしたというのが正直なところでした。

堀会長 社長を交代するけれど、銀行の意向もあって私は代表取締役会長となり、笠井代表取締役社長との2代表制でやっていくという形だったんです。

笠井社長 ええ。あえて火中の栗を拾う、なんて格好のいい話ではなくて。何か状況を変えなければ会社を立て直すことはできないだろうと私も考えていましたし、会長が代表権を失う訳ではない。それまで15年ほど会長が社長業をやってきていますので、一休みしていただくのも良いのではないかと。まあ、二人三脚とまではいかなくても、あるいは私が会長に追いすがるところもあっていいだろうと思ったんです。また、その年は弊社のみならず日本全体にとっても最悪の時期でした。私が社長に就任する約3か月前に東日本大震災が発生したんです。会社の状況も、日本の状況も最悪な状況。みんなガクッときていたわけです。そこで、社長就任の際、社員に向けて後漢書の「疾風知勁草(疾風に勁草を知る)」という言葉をメッセージとして出したんです。要は、強い風が吹き荒れると弱い草は這いつくばってしまうけれど、強い草はその風の中においても「なにくそ」と首をもたげてくる。困難や逆境、苦難に遭って初めてその人の意志の強さがわかる。そこから、どう立ち上がっていくか。その気持ちが大切だという言葉なんです。その言葉を社員のみんなに理解してもらえたからこそ、今があると思っているんです。 

「ひと言で言い表せない会社」 〜チャレンジを続ける背景とは〜

——多岐にわたる事業を展開する中、便宜上、会社を表現する際に「技術商社」という言葉が使われていますが、その思いとは?
 
堀会長 技術商社が100パーセント適切な表現かどうかはわからないですけどね。

笠井社長 規模は小さくても弊社は一応、総合商社ですから(笑)。もちろん、技術もありますが、技術部分よりももっと大きな、目に見えない表現しにくいものがある会社ですから。

堀会長 そもそも私としては「ひと言で会社を説明しろ」と言われることに対して常に反発があったんです。ひと言で表現すること自体、本来無理があると思っているので。「物を売る会社」であり「物を作る会社」でもある。サービス業的な側面やコンサルティングも事業の一部として行うこともある。ひと言で言い表せない会社であることが特徴なのかもしれません。
 
笠井社長 会長が作った会社の理念があるんですが、そこにすべて凝縮されていると思うんですよ。「目立たぬ地味なモノ、でも無ければ成り立たないモノに取り組み、小さな規模でも、やりがいのある大きな仕事へのチャレンジ精神を忘れずに、これからの社会になくてはならない製品、人に喜ばれるサービスを提供します。21世紀に進化し続ける企業として、人々の生活が豊かに潤うために、人々が安全に暮らしていけるために、そして地球の環境をもっともっとよくしていくために、精一杯働き続ける集団がエフ・アイ・ティー・パシフィック株式会社です」というもの。事業内容に関して言うなら、弊社の各事業はニッチな商売ですから、それぞれ規模が小さいんです。しかし、これが最終形ではありません。どの部門も発展途上にある。まだファーストステージかもしれません。それだけに今後、どう変わるかもわからないのです。

堀会長 そこで進化し続ける企業でなければいけない。常に変わり続けなければいけないと思っています。今までのものを守るためにも、新しい刺激を受けて変化するからこそ守っていけるのであって、止まっていたなら守ることなどできません。まさに保守というのは革新であるということに尽きる。それを事業としてやり続けていく。だから進化を止めない。そのためには頭を使わなければいけませんし、五感を働かせなければいけない。外から見て、どう見えるかではなく、クリエイティブな事業を行う会社でありたいんです。

笠井社長 創業から21年が過ぎましたが、本当の意味での進化を今からしていかなければいけないと思っています。

未来に向けての想い、いま社員に伝えたいこと

——トップの立場におられるお二人が考える「良い会社」「理想の会社」とは?
 
堀会長 私は、みんなが必死になって働かなくても豊かに食べていけるような会社が一番良いと思っています。「そんなことできるわけない」と思われるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか? 会社を創業する前から思っていたことなんですが、お金がなくたって、体力がなくても、知恵を働かせれば必ずうまくいく道が見つかると。会社にしてもそうです。知恵を働かせて考え抜けば、困難をうまく乗り切ったり、成功を手にすることができると私は思っているんですよ。全社員が、そういう思いを共有している会社が理想ですね。ただし、理想は夢と同じで実現するためにある。実現するためにあるならば、必ずそれを手にしなければいけない。10年後になるのか、もっと先になるのかはわかりませんが、その実現を目指して全社員が頭を働かせていく会社にしたいですね。
笠井社長 私も会長と同じ意見なんですが、以前ある社員が私に、新しい事業提案をしてきたときに「これ、面白いからやりましょうよ」と言ったんですよ。
この「面白いから」というキーワードがすごく気に入りましてね。やはり、仕事は面白くないといけない。面白いからこそ、先に進む力も生まれる。そのためには、会長が言ったように頭を使い、知恵を働かせる話につながってくるのだと思うんです。もう一つ、これはよく年頭の挨拶として話すのですが、「今年も笑顔の絶えない会社にしましょう」と。決してお気楽な話ではありません。笑顔になるためには汗もいっぱいかくだろうし、涙を流しながらってこともあるかもしれない。それでも最後は笑顔になる会社にしたい。それが理想としている会社像ですね。

堀会長 そうですね。そして、私が社員に望むのは起業家精神を持つこと。会社を辞めて起業しなさいと言っているわけではありませんよ(笑)。各事業部を担当している事業部長、あるいは事業部員である社員は、自分で企画して事業を起ち上げ、それを成功させるには、どうすればいいのかを常に頭の中で描いていなければならない。たとえ小さな規模の事業であっても、自分が社長のような立場で運営するというような風土になれば、常に社内が活性化するだろうし、発信力も生まれます。要は、クリエイティブな仕事を自分たちで考え出していくということです。そのためにも起業家と同じ考え方、同じような精神を持って欲しいですね。

笠井社長 そう、意識の問題なんですよね。いくら営業力や技術力、能力があっても意識がなければ何もできないんですよ。一人ひとりの社員が、今やっていることの一段、二段上の意識をもって業務に取り組むことが、次のステップに自分自身や会社を導いていくことになるのではないかと思うんです。

堀会長 社員にとってチャンスのある会社だと思うんですよ。「ここには挑戦しがいのある仕事がある」という会社を目指してもいますしね。だからこそ、チャレンジング・スピリットを持った人たちに集まって来ていただきたいですね。  
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